「求めよ、さらば与えられん」は本当

「求めよ、さらば与えられん」。

これは新訳聖書にある有名なフレーズですが、最近、これは信仰上の話ではなくて、ホントなんだなと納得するようになりました。

新約聖書では人が求め、お願いする相手は「父なる神」になっていますが、求める先は「神様」でも「宇宙(の源)」でも「ハイヤーセルフ(大いなる自己)」でもいいのだと思います。たぶん、みんな同じカテゴリーだから。

父なる神、大日如来、アッラーなど、いろんな名前で呼ばれている「神様」はおそらくみんな同じで、受け手側の人間によってさまざまな名前が与えられてきたのだと思います。

で、その「神様」とは結局のところ「宇宙の源」で、それは形のない「宇宙の源=愛・光」なんですね。どうやら。

それで「宇宙の源=愛・光」に直結している部下みたいな存在で、もうちょい人間寄りのエネルギー体が「ハイヤーセルフ(大いなる自己)」というスピリット。

つまり、ハイヤーセルフにつながることは「宇宙の源=愛・光」につながることで、自分の中にある「愛と光」すなわち「神性」を再発見することなんだと思います。

大昔に世界各地で生まれた原始宗教は、これを目的としていたんでしょうけど、人間のエゴが絡むことで政治に利用され、宗教者自体が自分たちに都合の良いようにつくりかえたりしたせいで、地上に「神性」「愛・光」を広めるどころか、憎しみや怒り、悲しみを広げる結果になってしまったのでしょう。

本来、「神様」と呼ばれる「宇宙の源=愛・光」をつながること、一体化することは、もっとシンプル。

別に寺院がなくても、お金を寄進しなくても平気で、何処にいても、何をしていても、今ここで立ちどころにできることみたいです。

全ては心の内側で起きること、心を愛と光のエネルギーで満たして「宇宙の源」と同調していくころだから。

ただ、世俗のあれこれで心が乱れっぱなしで「愛と光って何すか?」状態になっている人が、意識を変え、エネルギーを変えるのは難しいから、神社とか寺院という「聖域」を作って、「そこに行けば神様にあえる、つながれる! 愛と光のエネルギーに満たされる!」ってことにしたのでしょうね。

確かに聖域のエネルギーは一般社会とは違います。(全ての聖域がそうとは言い切れませんけどね 笑)。

新約聖書は、神様は「神の子」である人間を喜ばせたいと思っていて、私たちが必要なものを素直に神に求めれば、最もよいものを与えてくれる……そうですが、

(「うそやーん!」「じゃあ、なんで私の現実はこうなのよ!」という声が聞こえる 笑)

これはどうやら本当ですよ。

だから巷では「引き寄せの法則」が流行っていて、実際にそれでハッピーになっている人がたくさんいるんですよね。

ただ、一つ条件があって「宇宙の源=愛・光」のエネルギーと同調していないとダメ。

求める内容と、求めている当人が、愛と光のエネルギーに一致していれば手品みたいにすんなり叶っちゃうんだけど、

「誰かを呪いつつ自分だけは幸せに……」とか「激しく自分を否定しつつハッピーに……」というのは、上に上る軽いエネルギーと、下に下る重たいエネルギーが拮抗するため、なかなか叶わない。

宇宙の源のエネルギー、すなわち「愛と光のエネルギー」は暖かくて軽いから、自分自身がそうなっていればいるほど、ますます宇宙の「愛」「慈悲」に感謝したくなることが起きるみたいです。

先日の獅子座の満月の後から、別に何があったわけでもないんですが、なんかありがたいなぁと思う頻度が増えまして。

自分が今いる環境とか、協力的で優しい人が周りに多いとか、スーパーの総菜・半加工食品(忙しい時の味方!)が充実しているとか、通いたい飲食店とスミレの群生地が見つかったとか、すごくささやかなことなんだけど、嬉しい、ありがたいと思いながら日々を生きられること自体がありがたいことだなぁと。

ふわっとした話ですが。

そんなわけで今、私の求めにも、質問にも、ちゃんと答えてくれているハイヤーセルフというか宇宙?を、ますます信用するようになりました。

長いこと、ちょいちょい疑っててごめんよ、ハイヤーセルフ。

 

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