気づき① ――私の「HOME」は何処か――

先日、仕事で故郷の県庁所在地に行きました。

 

すいすい進む特急に乗って、どんどん東京が遠くなると、目の前に広がる大きな川、もしゃもしゃの雑木林、稲刈り後ですっかすかの田んぼ、遠くに浮かぶ山影。

実家がある街を通過しながら、そんな懐かしい野山を眺めることができました。

 

ホントになんてことない田舎の風景なんですけど、私にとっては紛れもなく「パワースポット」でね。

いい思い出がたくさん詰まった、車窓から眺めるだけでエネルギーチャージできる場所なのです。

 

子供の頃の私はほぼ毎日、犬や友達と野山を駆け回っていて、自然の中にいる時は、目に見えないけど温かい「大いなる何か」に愛され、守られている感覚がずっとありました。

 

それは何というか……「神」とか「愛」としか言いようがない、森羅万象を見守っている大きなエネルギー。

 

その温かいエネルギーが、私たちのことも、犬も、飛び跳ねるイナゴも、稲穂も木も、犬のおしっこで濡れてる雑草も、全てを太陽のように照らしているから大丈夫。何の心配ないという感覚。

学生時代に「グランドを駆け抜けてきて振り向けば、我は朝日を従えており」という短歌を作って、歌人の先生方に褒められたことがありましたが、例えていうならそんな感じ。

太陽が分け隔てなく万人を照らすように、大いなる何かはいつも一緒だから、見守ってくれてるから大丈夫!今日もよろしくね!――みたいな感覚でした。

森の中には、たまに「ここヤバいぞ。逃げろ!」と感じる場所もありましたけど、「そこ」に踏み込むと空気が変わるし、犬の様子もおかしくなるので(事件現場に入った刑事みたいな動きになる)すぐさま迂回――そして後日、学校で、その辺りで痴漢が出たと報告を聞く――。

 

とにかく、実家周辺の自然は私のホームグラウンドそのもので、空と大地が包み込むように自分を守り、応援し、導いてくれるのを当たり前に感じられる場所だったのです。

おお、見るだけでも心がフッカフカになるよ~。いいねぇ、相変わらず無造作で。

 

そして、特急が我が街を通り過ぎる直前、突然、気づいたのです。

 

私は何も失っていない、と。

 

私にとっての実家は、存在してはいるけれど、安心して暮らすことも帰ることもできない場所で、その事実に私は、たびたび大きな喪失感と所在なさを感じてきました。

でも、そもそも私は実家にも、家族である両親にも帰属意識を持っていなくて、故郷の自然の方を「我が家」と思っていることに気づいたのです。

 

その「気づき」は、私の家族にまつわるネガティブな認識がひっくり返るくらいの驚きでした。

<次の記事に続きます>

 

 

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