ネガティブな感情も仲間に入れてやろう

最近、十数年ぶりにジムでの筋トレを再開しました。

昨日もトレーナーさんが組んでくれたメニューをしっかりやりましたが、今日はさっそく筋肉痛で、起きるのが苦痛なレベル。
早くもジムではなくマッサージに行きたい!
さあ、私の筋トレはどれくらい続くでしょうか……?

1日に腹筋200回、スクワット100回とか普通にこなしてるK‐POPアイドルに、改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。

さて、今日はセッションをしていて最近感じることを書きます。

あの……ネガティブな感情を抱かないようにしている人が多いようですが、ネガティブ感情を除け者にしてはダメですよ。

自然と湧いてくるネガティブな感情を感じないようにしたり、見て見ぬふりすることはできますが、それはクローゼットにゴミを押し込めるだけ押し込んでドアを閉めているのと一緒で、ネガティブが消えたわけではないですよね?

依然として、それは、そこにある。

顕在意識で気づいてないだけで、実際はたっぷり自分のエネルギーフィールドの中に抱えているから、どんなにポジティブな意識をキープしても、浮上していかないんです。

それは、めっちゃ重い砂袋をぶらさげた状態で、気球を飛ばそうとするのと同じで、重たすぎて無理なんですよ。

なので、ネガティブ感情を除け者にしてはダメです。
「あんたは嫌いだから、あっちいってなさい」とクローゼットに閉じ込めたりせずに、ネガティブちゃんの言い分も聞いてあげて、「よしよし、そうか、そうか。そう思ったんだね」と相槌を打ってあげないと。

ネガティブ感情を見ないように、感じないようにしていると、自分の中で分離(乖離)が起きます。

「良い自分(認めてあげられる自分)」と「悪い自分(認めてあげられない嫌いな自分)」に分かれてしまい、「良い自分」だけをえこひいきすることになるので、「悪い自分(ネガティブな認めたくない自分)」は自分を活かせる場を探し始めます。

そして、自分を苦しませたり、怒らせたり、悲しませたりする誰か or 何かを引き寄せて不快な現実を体験することで、自分の「存在意義」を示すわけです。

または、誰かをイジメたり、八つ当たりするとかさ(これが極まった状態が自己愛型人格障害です)。

「私はここにいるわ! めっちゃ不愉快な気分を感じているわ! ほらほら気づいて!」と。

しかしまた「自分」は、必死に存在を主張しているネガティブちゃんを無視するじゃない?

すると、いつしか反乱を起こすわけですよ。唖然とするような最悪な現実を創りだして「私はいるわ。私を認めて!」と。

そう、だからネガティブは否定してはいけません。そういう自分も認めて「ああ、またそう思ってるんだね。そうか、そうか。ところで、いつもそのパターンだと思わない?そのツラい思い、まだ続けていきたい?どう?」と、話を聞いてあげませう。

ちゃんと後回しにしないで、言い分を聞いてあげると、だんだん彼女(彼)は軟化してきます。

そして、自分の言ってることの辻褄が合わないことに気づいたり、「アイツが礼儀知らずだから―」とかって言ってる裏で「実は羨ましいぃいいいい」と思っている本音に気づいたりして、そんな自分が笑えるし、けっこう可愛くもあるし、ま、人間みんなそういうとこあるよねと思えたりします。

ここまでくると、ネガティブさんは大人しくなり、しゅるしゅるしゅる……と「自分」の中に統合されていくのですよ。

私、この間、うんざりすることがあって、家に着いてドアを閉めるなり「ちょっと聞いてよハイヤーセルフ!もーさぁ、ホントいい加減にして欲しいんだけど。こういうことが繰り返し起こると、全部投げ出したくなるわー」と大声で宙に向かってがなっていたら、締め忘れた部屋の窓が全開になっているのに気が付きました……。(不用心)

隣の人はさぞ驚いたことでしょう。冬の宵で隣人の窓が閉まっていたことだけが不幸中の幸い……。

ま、窓を閉めてからも、ひとしきり文句言い、それでも足りないので大根をザクザク切ってピクルスにしたんですけどね。あーすっきり。

そして、すっきりしたら、起きた出来事を映画のように客観的に眺めることができて、自分の「反応のクセ」や「思考パターン」も分かり、「ぜんぜん対処できる。大騒ぎするほどのことではないわ。ちゃんと対処できちゃう自分、偉いね♥」と、落ち着きました。

そう、まずは世界(他者)と自分が調和することより、自分のあらゆる面が仲良く調和していることが大事で、自分の中の「除け者の子」を作らないことがHappyへの第一歩です。

© 2017‐2024 KAORU.