先日、お葬式があって、母方の親戚と会う機会がありました。
そこで伯母や伯父、いとこたちとあれこれ話していて、改めて母方は武士一族だったのだなぁと認識を新たに。
『まんぷく』の鈴さんのように、曾祖母や祖母がブシムスだったことは知っていたけれど、祖父の家系も武士だったとは知らなんだ。
そして、伯母や母が、鈴さんと同じように「祖先が武士」ということに誇りを持っていて、私には「へぇー!」「マジで?」と感嘆符や疑問符しか出てこない「昔の武士の家」の常識を、当たり前に受け入れていることに驚きました。
詳しいことは書けないけれど、家父長制の際たるところである昔の武士の家は「家と絆」がとても重要だったのですね。
親戚同士で都合しあって養子をとったり、正妻の他にお妾さんがいたり、産んだ母と育てた母が違ったり。
「家」すなわち「形」が大切な社会で、社会的な位が高くても、個人としては大変そうだし、本人は幸せだったのかなぁ?と考えてしまうエピソードも多かったです。
そして、そうした一族の中にあって、うちの母はやはり「割を食った人」だったと再確認。
平たく言うと母は、幼い頃から親に絶対服従で育ち、続く10代半ばで家の事情から実家を追い出され、その後もいろいろと貧乏くじばかり引いた人でした。
そうした不遇が重なって母の人生は緊張感あふれたものとなり、長じて後に、外ではすこぶる「いい人」なのに、娘には暴言や妨害行動を繰り返す毒親となってしまったわけで。
ある意味、母は「家」の被害者ですね。
だけど、その「被害者」のバトンを「今度はあなたの番よ」とばかりに母から押し付けられるのは大迷惑だし、実情を知らない親戚から「お母さんと仲良くしなさい」と責められるのにも閉口というか、むしろ私は怒り心頭で……。
しかし、私の根気強い説明と、ある従姉妹のサポートのおかげで、最近は親戚たちもうちの事情と因果関係を理解してくれているようです。
その上で母と私それぞれと(何もなかったかのように)和やかにつきあってくれるようになりました。
今回の葬儀の席では、穏やかな調和のムードさえ漂っていて、私はしみじみ長い戦が終わったことを感じましたね。
ああ……長かった。
一家という「固まり」を重要視している親戚にきちんと事情を説明し、親子としてのワンセットではなく、母と父と私それぞれ個別に対応してもらえる関係性を築くまで、本当に長かったし、疲れた!
忍耐のいる孤独な戦いだったけど、よく頑張ったぞ、私。褒めてつかわそう。
年上の従姉妹が「10年以上かかってようやく何が起きていたのか分かった。私たちはそんなものかと思って、家父長制の理不尽を我慢してきちゃったけど、カオルはそういうのを我慢する子じゃなかった。あなたが声を上げたのは良かった」と言ってくれたのも嬉しかったな。
セッションで家に関するお悩みを聞いていても思うことですが、形骸化した家制度や封建制度の亡霊がどれだけ個人のエネルギーと可能性を吸い取っているか!
全体のため、枠組みの維持のために、個が軽んじられる社会も、平成に置いていきたいと改めて思いました。
母は時代の重圧もあって理不尽に抗えなかったけど、今の時代に生きている娘は理不尽を覆すことができる。
そんな勇敢な娘を母はもっと誇りに思っていいよ、と思うんだけど、おそらく1ミリも思わないでしょう。それがうちの母たるゆえんですわ、ハハハ。