ケチつけ子、別バージョンに変化中?

一つ前のコラムからの続きです。

揚げ足取るのの天才で
嫌味を言うのが生き甲斐さ
外ヅラだけはいいけれど
うちへ帰ればケチつけ子!ハイッ!
ケチつけ子〜ケチつけ子〜いつもネチネチ、ケチつけ子〜♪
ケチつけ子〜ケチつけ子〜いつもグチグチ、ケチつけ子〜♪

これは母が典型的な毒親だった頃に、私が作った歌の歌詞。
長調で明るく始まるが、サビで転調して短調になる。
ちなみに2番もあって、サビにはダンスもある。

母のことで心底ウンザリしたある晩、突然メロディーが浮かんできて、2~3分で振りつけまで出来てしまったのだ。特にサビの暗いのか明るいのか分からない不穏な曲調が私のやるせなさにベストマッチ!

以来、家族関係で嫌な気分になるたびに「お祓いの儀」として歌い、舞ってきた。

この歌の母はケチつけ子だが、実際は嘘つき子でもあり、支配したいっ子でもあり、意地悪子でも、見栄張り子でもあったーーそうした一面は絶対、外の人には見せなかったけど。

実際の出来事は羅列するとキリがなく、思い出すのも不快なので端折るが、損害賠償請求したいと思ったこともいろいろある。母は娘が幸せそうに、満足そうにしていると機嫌が悪くなるけれど、娘に自分の無茶な要求をのんでもらったり、良きに計らってもらうのは大好き(笑)。
そのためには嘘をついたり、父や親戚を巻き込んだりもするという、子供っぽくて幼稚な人だ。

そこは今も変わっていないし、ケチつけ子も変わっていない。

この正月も家族で大きな神社にお参りにいった際、そのエリアで一番美味しいと評判のイタリアンをわざわざ選んであげたのに「こんなところのイタリアンなんて、たかが知れてるわ。どんなもんだか。なんか安っぽいわね」などと、入る前からさんざんケチをつけた挙句、たくさんあるパスタの中から、私が「それだけは無いわー」と思う実験的過ぎて味がこなれてなさそうな一品を頼み、「マズい!」と盛大に文句を言っていた。

ちなみに、私と父が選んだ品はそれぞれとても美味しく、我々のパスタを味見した母は「こっちは美味しい。お父さんがこっちを選んだから、私は被らない方がいいと思ってマズいのを頼んじゃったじゃない!」と、父を責めまくっていた。父、とばっちり。

うん、だからさのだよ、お母さん。あなたのオーダー通りの「たかがしれてる安っぽい」料理が来たではないか。

ちなみに夕食時に訪れた別の飲食店でも母は同じ展開を繰り返し、2食続けてマズかったそうだ。どうして数あるメニューから、ピンポイントで超絶微妙なものを選べるのか不思議だけど、ケチをつけまくっていると『類は友を呼ぶ』で、自然とケチをつけずにはいられない料理を選んでしまうのだろう。(その店に入る前にも「ここ、美味しいの?なんか電灯が白すぎてマズそう」と、またケチつけ子だった)

久しぶりに間近で見た母は、自分で発した毒を自分で浴びて、ますます文句が止まらない日常を生きており、私はさらに宇宙の法則への信頼を深めた。

ところが、私がせっせと毎日、浮かんでくるたびに母や父に対するネガティブな感情を手放し、統合していったところ、たまに会う母は機嫌がよいことが増え、うっかり――父が神経質になるほど――ご機嫌斜めな日に実家に立ち寄ってしまった場合は「外出中で留守」「別室で長電話中で出てこない」「入浴中ですれ違い」と、顔を合わさなくて済むようになってきた。

これは波動が合わな過ぎて遭遇しないってこと?
ってことは、私が相手に対するネガティブな気持ちを手放して、いつもご機嫌でいれば、私の前に現れるあの人も「ご機嫌バージョン」になるのでは?

そう思って、特に実家を訪れるときは自分の波動を整え、ご機嫌な状態で行くようにしたところ、両親が別人になってきた。

具体的に言うと、夕飯を勧められたり、美味しいお菓子や野菜をお土産として手渡されたり、私が兼ねてから望んでいた「不要物の整理と処分」に着手し始めたりと、さまざまな態度が普通の親っぽく改善し始めているのだ。

今までは夕食を共にすることはおろか、立ち寄ることも泊まることもほぼできない実家だったので、これはかなり劇的な変化。
うーん、ちょっとね。同じ人たちとは思えない。

最初は気味が悪いなぁ、何か魂胆がありそうだな……と警戒心バリバリで見ていたが、どうも彼らは今、本当に別バージョンの人間になりつつあるようだ。OMG!

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