富士山に呼ばれる(2)

一つ前のコラムで、富士山……なのか、富士山の女神の木花開耶姫命なのか分からないけど、ときどき富士山方面、正しく言うと富士山をご神体とする神社に呼ばれることがあると書いた。

今日は数年前に呼ばれた時のことを書いてみる。

私が「神社の神様から呼ばれてる気がするけど、本当かな?私が勝手に”呼ばれてる”と思ってるだけじゃない?」と、まだ自分の受信能力を疑っていた頃の話だ。

私はこう見えて常識的な人間なので、自分が受け取ったハイヤーセルフやスピリットガイド、高次の存在からのメッセージがGenuineなのかどうか、ずいぶん長いこと疑った。今も、自分の単なる願望や思い込みを「メッセージだ~!」と勘違いしたりしないように、かなり気をつけているくらいだ。

でも、そうすると向こうも手を変え品を変えしながら「ホンモノです」と証明してくる(笑)。これはその段階で経験した話。

ある年の1月、突然「富士山に行かなきゃ。富士山が呼んでいる」と思った。浮かんできたのは、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社。
そこでなる早で行こうと思ったが、なぜか先に茨城県にある鹿島神宮と、利根川を挟んで対岸にある香取神宮に行く方がいい気がした。

そこで、まず鹿島神宮&香取神宮に参拝し、月が改まった2月半ばに富士宮に行くことに。

が、しかし。
うちから行くと富士宮って結構遠いんだよねー。新幹線代かかるしー。山宮も外せないからレンタカーが必要でしょ?お金かかるなー。今週、天気悪いみたいだし、雪だったらどうしよ?本当に行く必要あるのかな?
と、直前になって私は日和った。

そこで念押しのようにハイヤーセルフに「本当に富士山に呼ばれてます?私の思い込みではないですか?」と聞いてみた。

すると脳裏に、ドドーンと夕焼けに染まる富士山が浮かんでから「6:41」という文字が出現。
起床時間としては中途半端だし、もしかして「6:41発」の電車に乗れってこと? そう思って最寄り駅の時刻表を確認すると……。
あった、6:41発。それに乗れば新幹線への乗り継ぎもスムーズ、か。

ご丁寧なナビゲーション、ありがとうございます。
でも、6時台って早くないですか?確かに通勤ラッシュ前で快適でしょう。神社が混み始める前にも着けそうですよ。でも6時台って私、まだ寝てる時間。まあ……まあ……ご指定なら……乗りますけども……。

ってことで当日は頑張って早起きしたものの、眠すぎて忘れ物して手間取り、乗り遅れてしまった。結局、1本後の新幹線で富士宮入り。

「6:41」の電車で行くことに意味があったとしたら、何かを逃したかも……と若干メンタルは落ちた。しゅん……。

でも、富士山本宮浅間大社山宮に着いたら小雨がやみ、階段を上って、遥拝所の前まで来たら、富士山を覆い尽くしていた雲がススススス………と移動して、富士山の頭がこんにちは☆

画像
その時の写真。山宮さんは、遥拝所から霊山の富士山を直接拝むスタイル

あら~こんにちは、富士山!出てきてくれてありがとう。
やっぱり、呼ばれてた? いや、まだ分からんぞ。偶然かも。

次に麓にある富士山本宮浅間大社に向かったところ、参拝後の境内で、木花開耶姫命と思しき誰かが、私の問いかけに対する答えをくれました。

その時は支配欲が強く、人を自分の思い通りに動かすためなら嘘もつくし、私や父に対してはモラハラ大王な母親が老いていくなか、どうつきあっていけばいいだろう、というのが私の大問題だったのだけど、

「その方」は「全て笑い飛ばしなさい。どんなことを言われても真に受けず、相手の前で笑って面白がりなさい。笑い飛ばしてしまえば、悪意は力を失います」と、その場面の映像付きで教えてくれました。

これが試してみたら効果てきめん!

母は息をするようにナチュラルに、さりげなく意地の悪いことを言うのだけど、即座にその発言をリピートしながら「何それ、どういう意味?ちょっともう一回言ってよ。ウケるわ~!」と、アメリカの陽キャ高校生ばりのオーバーリアクションで笑っていると、相手は虚を突かれて黙ってしまうか、一瞬固まった後に微妙な顔で笑い始めるのだ。
まるで、呪いが解けた人みたいに。

富士山、そして木花開耶姫命は、この「面倒くさい家族と和やかにつきあうコツ」を教えるために呼んでくれたのだろうか?

確かに正月という、1年で最も厄介なイベントが終わって、私は再びウンザリモードになっていたから、富士山や木花開耶姫命のサポートを必要としていたのかもしれない。

以前、失踪事件や難事件捜査にも協力しているという台湾のナンバーワン霊能者さんにお会いした時、開口一番「あなたの両親は大人になったあなたの親でいる力がない。あなたは定期的に、神社の水や米をいただきなさい」と言われたことがあって、以来、ちょこちょこ神社のご神水をいただいている。

そして、富士山本宮浅間大社の境内にもご神水が流れ出ているのだけど、これが売られている「富士山の湧水」よりもずっと美味。

このご神水で喉を潤して、ご神水が流れ込む池を優雅に泳ぐ色とりどりの鯉さんたちを眺めて、適当に立ち寄った富士山ビューの公園で、地元の皆さんに混じって満開の梅を見たりしているうちに、すっかり気持ちは晴れた。

そして、レンタカーを返す前にカフェに寄りたいと、市内を車でウロウロするうちにたどり着いた公園から見た富士山は、昨日、私が受け取ったイメージと全く同じアングル、同じ色の夕日に染まる夕焼け富士!

ああ、これだ。この映像だった。やっぱり、呼んでくださっていたのね。
正直、呼ばれた本当の目的は分からないけど、私はここに来る必要があったし、来る方が良かった。そういうことだよね?

ちなみに、当時の居住地には浅間神社があり、小さな富士塚もあった。だから、富士山本宮浅間大社に赴く前に一応そちらにも参拝。富士宮から戻った翌日にも「行ってきましたよ」とご報告に伺ったのだけど、ここでもまたサインが現れた。

神社から家に帰る途中、目の前の雲が分裂して、富士山型の末広がりな台形の雲が登場。そして、その形のまま3分間くらい、ずっと眼前に留まったのだ。

何だろう、これ?「ご苦労さま」ってこと?
それとも「ちゃんとメッセージを受け取れているから信じなさい」という念押し?

自然現象まで使って、必要なことを必要なタイミングで教えてくれる『上の人たち』の懐の深さというか、ご配慮にうれしくなったし、富士山雲のビジュアルが「富士山食パン」過ぎて可笑しくもあった。

と、こんなようなことが繰り返し、繰り返し起きる数年間を経て、私はいろんな「善きこと」を伝えようとしてくれている目に見えない『高次の存在』を、想像の産物ではなく、実際にいるんだなと信じるようになった。

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