母に感謝していること① ユニークな母校で学んだこと


手前の記事で、私の実家の話を書きましたが、それはそれとして私が両親にとても感謝していることが2つあります。

1つ目は、私に向いている学校に通わせてくれたことです。

その学校は帰国子女の受け入れや独自の教育方針で、ちょっと注目されていた中高一貫校で、生徒の個性がバラバラ。

帰国したばかりで日本語があやうい子もいれば、東京育ちの都会っ子も、日本の地方から来た寮生も、ハーフも、留学生も、私のように塾にいったことがない地元の子も……と、文化的背景が多様な子供たちが集まる学校でした。

 

そのため、みんなで共有できる「常識」がほとんどなく(寮にはテレビがないため、寮生がいるところではテレビ番組の話が暗黙のタブー)、学校は小さなコスモポリタンの街でした。

 

田舎でのんびり育った私には、多数決で意見がまとまった学級会で最後まで抵抗を続け、しまいに「俺はそうは思わない。けど、みんながそうしたいなら従ってやるよ」とのたまうアメリカ帰りとか、

 

「男が女をエスコートするのは当たり前よね?」と女王然と振る舞い、いつしかそれをスタンダードにしてしまう中東帰りの先輩など、

 

外国の映画を見ているようで、最初はあっけにとられました。

 

先生もユニークな人が多く、教育に命をかけているらしい熱血先生もいれば、会社員経験や海外での就労経験があって視野が広い先生、

 

コミュ力が著しく低いけど、自分の担当科目の情報は常に最先端を押さえていて、授業もオモロいオタクな先生、

 

「生活のために教師をしている」と公言してはばからないものの、その先生が指導すると、普通の生徒が美術予備校無しでポンポン難関美大に受かってしまう兼業画家先生など、

 

マイワールドがあって我が道をいっている、自由な風を感じる先生が多かったんですね。

「ちょっと留学してきまーす」と消えていく先生も多かったし。

 

このメインストリームからズレていないか気にする必要も、空気を読んで言葉を飲み込む必要もない環境がマイペースな私には向いていて、中2になる頃には「自分の未来があるのは(親の言うことよりも)こっちだ」と確信していました。

 

ほんとにあの学校で出会い、その考え方や行動をじーっと観察し、助言をもらった先生方には今も感謝しています。

 

そして、一部科目が成績別クラスだったため、成績上位のクラスと、成績下位のクラスでは漂う空気が違うのも面白くて。

 

私は数学がてんで出来なくて、ずっと最下位クラスの住民だったんですけど、そのクラスに漂う強烈な諦め感&なげやり感たるや!!! ダメモードの霧が深すぎて眠くなる〜(そしてさらに分からなくなる〜)。

 

私もその空気感を成す一人でしたが、エネルギーって伝染するので「ダメだ、無理だ」と思っている人の群れにいると、よほど強い意思を持たない限りはそっちに染まりますね(笑)。

ひとつ上のクラスから落ちてきた子が、教室に入ってくるなり「ヤバッ!マズいとこに来ちゃった」って顔してましたもん(笑)。

 

ところが、英語の授業で上の方のクラスに行くと、いきなり空気がキラキラ〜☆

やる気があって「英語大好き!」なエネルギーが流れているから、それに感染すればするほど「できて当たり前」な気分に(そして実際にそうなる)♪

 

人は無意識のうちに影響を与え合うから、関わる人ってすごく大事…と、小学校では教わらない社会のシビアな真実に気付いたりしました。

 

あの学校に通い始めて、ますます「自分は自分」モードになっていった私に、常に世間の目を気にして汲々としていた母が嫉妬して、いじめられるようになった気もしますが……

 

それでも、世の中にはポジティブな未来につながる建設的な考え方と、ネガティブな未来に続く破壊的な考え方の両方があって、

 

考え方と生き方は自分で選んでいいってことを、社会に出る前に知れたことは、とてもありがたかったです。

 

あの母校を受験するように勧めてくれたのは母。

その点はとても母に感謝してるんです。

 

あ、長くなっちゃいました。2つ目は次回に!

 

© 2017‐2024 KAORU.